vs広州恒大(ACL・2015/08/25)HDDを旅しようvol.2

 淡々と書いていきます。第二回目は、2015年のACLから準々決勝1stレグ広州戦。
 平日(火曜日)の日立台に14,000人もの動員は、この試合に懸ける思いを物語っています。
 ACLの準々決勝という舞台はもちろん、2年前の雪辱に燃えたサポーターも多かったはずです。
 リーグ戦が残念な展開だったこともあって、今季の全てをこの試合に委ねるような空気だったと記憶しています。
 余談ですが、この段階でリーグ戦は3位(2ndステージ)に付けていたようで、勢いには乗っていたようです。全く記憶にありません。

AFCチャンピオンズリーグ2015 準々決勝第1戦|柏レイソル Official Site

 先発は、菅野、チャンス、大輔、エドゥアルド、藤田、バラ、雄太、多部ちゃん(小林)、クリス、工藤、武富。
 直近のゲームからは、タニと輪湖が負傷でベンチ外。
 武富がトップ。バラがアンカーで、雄太と小林CH。やっぱりアカデミー卒業で組む3CHには夢がある。秋野はどうしたんだろう。

弱い?脆い?繊細?


 フルマッチを観た率直な感想は、やっぱり弱い。弱いという表現が不適切だとしたら、脆い、繊細、神経質という言葉でもいいかもしれない。
 失点が全てセットプレーだったことも含め、そのような印象を抱いた。

 達磨さんの哲学といえば、ボール保持やパスサッカーと言っていいだろう。達磨さんに限らず、当時の柏レイソル(アカデミー含む)がそんなチームだった。
 それ自体が悪いわけではない。むしろ目指すサッカー、ゲームモデルが明確なチームは強い。 
 柏レイソルは、ボールを保持する必要がある。そのために、ボールを奪う必要がある。
 例えば、トランジションではゲーゲンプレッシングによる即時奪取を試みることや、ハイプレスで相手に時間とボールを与えないなどといった振る舞いが求められる。
 しかしながら、トランジションの局面では明かに強度が不足していた。強度以前に、そもそも仕組が整備されていない。[攻撃]→[攻撃→守備]→[守備]→[守備→攻撃]という4局目の循環の中で、次の局面を想定したポジションを取ることが大切だ。柏の場合は、ボール保持を続けるための準備だ。すぐにボールを奪い返すことが出来る配置、ないしはすぐにプレッシングを開始できるポジションを取ることだ。
 
 広州戦に至っては、そのトランジション時の振る舞いが不安定だった。コンパクトな陣形を維持できず、プレッシングが掛からない。前後が分断し、アンカー脇にスペースを与えることから、プレッシングが外されてしまう。
 トランジションの機能不全が、ボール保持(時間)の減少に繋がった。

 だが、ここで考える。そもそもなぜ、コンパクトな陣形を維持できなかったのか。トランジションが機能しなかったのか。
 その答えは至ってシンプルなもので、ボールを持つことや、パスを繋ぐことでしか前進ができないチームだったからだ。
 広州恒大が序盤から高強度のプレッシングを選択したことから、柏はボールと時間が奪われてしまった。ボールを繋げない。保持できない状況のまま試合が推移していく。広州恒大の視点に立てば、ネルシーニョが表現するところの「ニュートラル」な状況を再現していると言える。
 ボール保持やパスサッカーという理想・哲学を掲げた以上、全力でボールと時間を奪いに来る相手との対峙は避けられない。
 その打開策や手段は、監督やチームによってそれぞれだ。配置、つまりはポジショナル・プレーを突き詰めることや、ボールを握るためにロングボールを選択すること等々・・・。
  この日(もしくはこの年)は、その状況を打開する術を持たなかったことが大きな敗因だと考える。打開策がなかったのか、理想に殉じるを良しとしたかは、微妙なところではあるが恐らくは前者であろう。

 ビルドアップでは、茨田がCB間に移動することで後方の数的優位の確保を図る。
 特徴的なのはFWの武富に与えられたタスクだ。ゼロトップに近いかもしれない。前線で裏を狙うことや、相手のCBをピン留めすることではなく、中盤での数的優位を確保するために降りていくこと、ビルドアップの出口になることが求められた。

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 しかしながら、全体が後ろに重くなった結果、相手を自陣に招き入れてしまうこととなる。味方同士の距離が近くなったことから、自分たちでスペースやパスコースを消してしまった。パスでの前進ができない。
 プレッシングを間に受ける状況だ。回避の手段は、ゴールキーパーをビルドアップに組み込むことや、ロングボールなどが挙げられる。
 これだけ後ろに重たい配置になるとロングボールでの前進は困難だ。そもそもボールを蹴ることを織り込んでいない(全体が低い位置にいる)ため、2ndボールの回収が出来ず、相手にボールが渡る。
 ボール保持のための列移動(バラと武富)が、却って自分たちを苦しめることとなった。パスサッカーだけど、ポジショナル・プレーではない。あくまでパスのためのパスだと表現していいだろう。
 そして、この状況のまま3点を先行される。3点取ったことで、次第に広州恒大はプレッシングの強度を落とすことになるが、そこでようやくボールを保持することができるようになった。つまり相手が強度を落とすまで何もできず、殴られっぱなしだったということだ。理想に殉じたといえば聞こえはいいかもしれない。しかし、そもそもボールすら保持できない仕組では、理想も何もあったものではない。
 冒頭で述べた弱さや脆さというのは、一つの戦い方しかできなかったことを指したつもりだ。強みを封じられた際の振る舞いは、弱さそのものだった。

 

ネルシーニョ→達磨への移行はなぜ

 

 そもそも、なぜクラブの最繁栄期を築き上げたネルシーニョから、達磨政権への移行を図ったのか。
 2015年を語る時、その背景を触れないことは達磨さんに対して誠意を欠く行為だと思っている。
 簡単に表現すれば、アジアで勝つため(獲るため)だ。

「このままでは広州(=中国マネー)には勝てないし、スポンサーからもそこまでの資金は引っ張れない。だから金ではなく。育成をクラブのアイデンティティに据え、アカデミー主体のシームレスな『組織』の下、アジアの頂点を目指そう。」

 当時を知らない柏サポーターが聞けば、「何を言ってるの?」と正気を疑うだろう。
 それでも当時は、クラブも選手も、サポーターも含めて全員が、これなら大丈夫、きっとアジアで勝てる。俺たちは間違っていない。そう本気で思っていた(少なくとも僕は)。
 ネルシーニョの後任が達磨さんであることは、暗黙の了解として認識されたていた。クラブもそのために要職を経験させ、時間を掛けて周到な準備を行った。
 それでも結果として達磨政権は1年で幕を下ろすこととなる。柏レイソルにとって、「アカデミー」とはどんな存在なのかということを考え直すことになった。後に寺坂さんはこの年のことを「変化を好まない、排他的な組織になってしまった」と表現した。広州戦に見た弱さや脆さは、確かにその表現に納得できる。
 その後、紆余曲折を経て下さんが引継ぐこととなる。結果的に2018年に降格を喫することになるが、この挑戦(アカデミーとのシームレス化)自体は決して間違いではなかったと個人的には思っている。しかし、それについては別の機会を設けたい。
 クラブもサポーターも非常にポジティブな思いを抱いて、走り始めたシーズンだったことは間違いない。それでも、数年の時を経て見返したこのゲームに、限界を感じずにはいられなかった。