【大阪遠征①】遠征記という名の自分語り

一向に始まらない遠征

今日が10月1日ということは、つまり、昨日は9月最終日ということです(進次郎構文)。

9月末というのはサラリーマン的にはとても大きな意味を持っている。特に営業推進部門のマネジメントを任されている身としては、それはそれはプレッシャーで眠れない日々が続いていた。リヴァプールのストーミングを想起させる強度のプレッシングが支店長をはじめとする上席から降り掛かった。上積みされるノルマと、やらかす部下、発狂する上司。実に阿鼻叫喚。まさしく地獄絵図に等しい光景を目の当たりにしつつも、淡々と実績を積み上げ、結果的には敗色濃厚からの一発逆転で何とか目標をクリアするという痺れる9月だった。9月30日は夜中まで掛かって残務を処理するなど、怒涛の9月を乗り越え、晴れて漕ぎ着けたのがこの大阪遠征というわけだ。これは楽しまないわけにはいかない!10月の数字のことを考えたら普通に吐きそうになるけど、一旦それはもう良いじゃないかと。

明日できることは明日やれば良い。「明日やろうは馬鹿野郎」とか、馬鹿じゃないの?と名ドラマに喧嘩を喧嘩を売りながら、意気揚々と30周年記念の黒ユニを纏って家を出る。

 

晴れやかな気分で東武アーバンパークラインに乗車し、ジャンプ+で最新話が更新された「2.5次元の誘惑」に涙していたところ、転職エージェントから連絡が入る。

転職エージェント「羊男さん、今日正午締切の適性検査の受験を……」

日常に追われるあまりに完全に失念していた。タスクリストに表示されているものの、もはやそれは風景と化していた。典型的な形骸化だった。

ということで、当日になっても、何なら自宅を出発してもなお僕の遠征は始まらないらしい。昨日は多忙を極めたせいで一口も固形物を口にしておらず、あまりの空腹に頭も回らない。こんなに忙しい時期に転職活動を始めた自分を憎む。あわよくば東京駅で朝食を……との目論見も虚しく、新幹線のホーム、果ては奮発したグリーン車内で適性検査を受ける羽目になる。致命的な計画性のなさだった。

そして、東京駅出発から15分ほど経過した頃にどうにか適性試験の受験を完了し、ようやく遠征が始まった。(別にいっか、とフライングで受験しながらビールを飲んでしまったのはここだけの秘密)

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【遠征×読書】遠征で一番好きな時間

これまでたくさんの遠征を経験してきたが、個人的に一番好きな時間は移動時間だ。

生産性や効率、コストパフォーマンスを意識した忙しない日々が続く僕たち現代人にとって、目的地までの移動時間はこの上なく贅沢な自由時間だと思う。何をしても赦される至福のとき。まあ、日常の延長線と捉えて仕事に勤しむ人もいるのだろうけど、しかし、僕が遠征に出る理由やそれが好きな理由のひとつとして、やはり日常から離れることができるからというのが大きい。だから、なるべく普段やっていることはやらないようにする。例えば、ルーティンとしているジャンプラやマガポケといった漫画アプリの周回も、一度、新幹線や飛行機に乗ったら東京に戻るまではやらない。どうしても日常感が出てしまうから。

そのため、僕は遠征用に必ず一冊の本を買うことにしている。なるべくならばそれは物語が良い。つまり、小説か漫画ということだ。これはお金のなかった大学生サポーター時代からの習慣で、当時は、ブックオフで安くなった中古本を漁ってから敵地に赴いてものだった。今はさすがにKindleだけど。遠征の共として連れて行った小説は、その後も忘れずに記憶に刻まれることが多い。例えば、2014年の徳島遠征では、森博嗣の「スカイ・クロラ」を読んでいたことを今でも覚えている。2015年の神戸遠征では三浦しをんの「船を編む」だった。内容は、風景や景色、試合とともに刻まれている。本とともに旅をするというのも、これまた一興だ。

そんなこんなで、今回の遠征は斜線堂有紀さんの「楽園とは探偵の不在なり」。とある島に訳ありの人物たちが閉じ込められるお話(結局今回の遠征だけでは読み終わらなかった)。個人的に2022年で一番読んだ作家が斜線堂有紀さん。「恋に至る病」はあまりの衝撃と余韻にしばらく立ち直ることができなかった。僕と同い年らしい。

【神座】僕にとっての大阪の味

ビールを飲みながら、時折読書、時折うたた寝を混じえ、ようやく大阪着。まずはここで腹ごしらえ。

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旅先で東京でも食べられるものを選択することに思うところもある。しかしここ「神座」は僕にとっての、大阪の味なのだ。

お金がなかった学生時代の遠征で、なけなしのバイト代を叩いて食べた記憶が今でも鮮明に刻まれている。財布に1,500円しかない状況だったから「絶対に失敗はできない」とTwitterでおすすめを募集したところ、当時から親しくさせていただいてる某koさんに教えて貰ったという一幕もあった。そんなギリギリの状況だったこともあって、その一杯は余りにも僕の心に響いた。まさしく”思い出補正”だろう。確か雨の大阪(2014年)で、落合信彦の「狼たちへの伝言」を読んでいた。

さすがに30歳を目前に控えてお金がないなんてことはなくなったけれど、余裕ができたことで物事に対する反応、感度が落ちている気がする。一杯のラーメンに震えるほど感動できたあの頃の自分を少し羨ましく感じながら、でも、目の前のラーメンに目を向けると当時は泣く泣く諦めたチャーシュートッピングがなされているという。あれから約10年の歳月を経て、僕は、何かを得て、何かを失ったらしい。少し不思議な気分だった。

話は逸れたけど、つまりは、その時の強烈な思い出や記憶のお陰で、未だに大阪へ来る度立ち寄ってしまうのが、ここ「神座」。僕にとっての大阪の味だ。いよいよ大阪に辿り着いた実感が湧いてくる。

【生活感】観光はしない。俺たちは応援に来たのだから。

「観光?しないよ、そんなもの。俺たちは応援に来たのだから」

 

いつだか知り合いのコアサポが言っていた。

当時は「何を言ってるの?」と狂気を感じたものだが、今ならその気持ちが分かる。確かに、大阪くらい頻繁に足を運ぶ場所で、恐らくは来シーズンも最低一度は訪れることが確定している場所だと「まあ、今回は観光はいいか……」という気分にもなる。

余談はさておき、この日は、声出し応援適用ゲーム。自由席の場所取りのために観光もそこそこにスタジアムへと向かう。柏レイソルサポーターにとってはパナソニックスタジアム吹田は四度目?混雑回避を含めた攻略法を各々が編み出しているところだと思うけど、個人的な最適解はJR京都線で新大阪→千里丘。約10分の乗車。そして、そこからパナスタまではひたすら徒歩。これが30分くらい。住宅街のど真ん中を抜けていくのだけど、これが「柏⇔日立台」間の道のりと少しだけ似ている。

今回の吹田に限った話ではないのだけど、僕は遠征先でその土地の生活感に触れる度に、ふと「ああ……柏から遠く離れたこの場所にも確かに人は生きていて、それぞれの生活があるんだよな……」という不思議な感慨に覆われる。

忙しない生活を送る中で、つい自分が生きている場所や属する組織だけが世界の中心だと思い込むことがある。この場所だけが、今いる場所だけが、全てなのだと感じてしまう。

しかし、それはただの執着に他ならない。

新卒入社した会社でそれなりに結果を残して、評価されて、役職を与えられた。慌ただしい日々の中で流れていく時間とともに、いつしか身動きが取れなくなってくる。かつて、学生時代のサポーター活動や遠征を通じて様々な人達と交流を重ねていくうちに描き志した「こんな大人になりたい」という理想さえもいつの日か忘れてしまう。

側から見たら本当にちっぽけで、きっと自分で後から振り返ってもそれほど大切ではない”もの”……、そんな取るに足らない”もの”を、手放すことができないのだと思い込んでいる。この世界はとても広く、どこまでも外へと続いている。だから、臆することなく飛び出して行くべきなのに。

特に今、僕自身が人生の大きな岐路に立っていることもあって、一層センチメンタルな気分にさせられた。遠征先で生活感に触れる度に僕は茫洋とそんなことを考える。

それなりの傾斜。丘を登っていく。

f:id:hitsujiotoko09:20221002193145j:image振り返ると遠くには大阪の街(たぶん)。

f:id:hitsujiotoko09:20221002193149j:image登りきった丘を下ると、もうスタジアムは目の前(写真を取り忘れた)。

と、ここまで書いてまさかの3,000字超。スタジアムまで辿り着かないという。さすがに長いので、一旦ここで切ろうと思う。パート①ということでアップするけど、パート②を書く保証はない。